元麻布の閑静な住宅街にある日本料理「かんだ」 。ミシュランガイド東京2008から15年連続で三つ星として掲載されている。指揮を執るのは神田裕行氏。2021年のメンターシェフアワード受賞者である。
メンターシェフアワードとは、自身の仕事やキャリアが手本となるシェフに授与される賞。指導者として後世の育成にも力を注ぎ、レストラン業界への貢献を称えるもの。この分野で尽力する人々にフォーカスし、飲食業界全体を盛り上げるため海外のミシュランガイドではすでに展開しており、この度日本も採り入れた。
料理人そして指導者として、多彩な面を持つ神田裕行氏。当日は仕込みの真っ最中。小気味よい包丁の音と広がるだしの香りに包まれながら、取材は始まった。
神田氏の原点は故郷徳島。日本料理店を営む家庭で育ち、その道へ進む。大阪で修業後はフランスへわたり、料理長として活躍。帰国後は修業の傍ら調理師学校で講師も務め、2004年に「かんだ」をオープンした。
近年では仲間と農業法人「FUUDO」を立ち上げ、米から食の未来を考える活動もしている。2022年度版初掲載店の「空花」をはじめ、「久丹」「常」や、ミシュランガイド台湾2021年版の一つ星店「謙安和」 など、神田氏から巣立った料理人は多い。
人生の視点をクリアに
指導で心掛けているのは“人生の視点の明確化”。「いつ独立したいのか聞き、ゴールを先に設定させます。目標に向けてアドバイスすることが多い。時間は有限。目標が無ければ、日々普通に生きてしまいますから。」
また、想定ライバルを置くことも重要だという。「本当のライバルは、独立した時に出会う他店の同世代。店のヒエラルキーだけに縛られず、常に先を見据える。向上心を持たなければ、デビューした時に負けるとはっきり言います。」
一方、調理場では、お客様へ視点を合わすようにとスタッフへ伝えている。従業員同士は気兼ねせず、互いを高め合う存在であってほしい。チームが風通し良く働けるように、人間関係には心を配る。「僕や先輩に怒られないように仕事をすると、料理へのピントがずれます。スタッフ同士ではなく、お客様に気を遣って、お客様のために料理を作ることが第一ですから。」と話す神田氏。
そこには、料理への真摯な想いがあった。「おいしいものを食べる、作るというのは、三角定規をいつも逆さに持っているようなもの。少しでも油断すれば、倒れてしまう。集中力、体力、気力が大切。」
長年、調理場に立ってお客様に向き合っているからこそ、言葉には重みがあった。「まあまあおいしいでは許してもらえない、素晴らしくおいしい料理でなければ。アワードも受賞して、皆さんがハードルを上げてくれるからなあ。」と、厳しさの中にも笑みを交え率直に語ってくれた。
指導者としてのターニングポイント
指導者としての分岐点は、調理師学校の講師時代。当時は若く、好かれたい一心から生徒に優しく接していたが、社会の厳しさを教えられず、卒業生の大半は早々に辞めてしまったという。「楽しかったけれど、彼らのためになる時間を作れなかったと反省しましたね。」と振り返った。
厳しい時代があったから今があると、将来思ってもらえるような指導をしなければならない。神田氏にとって、この苦い経験がスタッフに接する礎になっていった。
「土の中に栄養があり、土の中に未来がある。未来の世代のために守っていきたい。」
調理場を超えて、未来への活動も行っている。農業法人「FUUDO」を設立し、仲間と毎年米を収穫し、店でも使っている。「FUUDO」とは“風”と″土“の意味。食べ物は、それらの恵みであるという想いが込められている。
「土に触れて土の大切さを学ぶ。土を守らなければ、僕らの食生活は乱れるし、料理人も生きていけない。そういったバックグランドがあり、土を健康にしようと考えています。」
同世代の料理人たちが情報交換し、ライバルとして意識する場にもなっているという。若い世代の交流の場を作りながら、世代を超えて食の未来を創造する姿に、メンターとしての一面を感じた。
「日本でしか食べられない本物の日本料理を作りたい。澄んだおだしの中に、温かいお茶の中に、日本のおいしさがある。」
最後に、料理人として展望を語ってくれた。「情報や映像が簡単に入手できる時代だからこそ、国際化から一歩進んで、あらゆる料理カテゴリーが同一化していきそうな感じがします。フュージョンと言えばそうですが、パッチワークのような料理。人々の味覚も、ニューヨーク、ロンドン、東京、この緯度の辺りは同じぐらいの気候、気温、湿度なので、最終的に求めるものが一緒になってしまう。」
その中で目指すものは“純血の日本料理”。「日本でしか食べられない本物の日本料理を守りたい。日本語でおいしいは『美しい味』と書く。お米のおいしさ、おだしのおいしさ、炭で焼いたお魚のおいしさを軸にして料理を作っていきたいですね。」と力強く話し、仕込みに向けて颯爽と板場に向かっていった。
若い料理人たちの自主性を大切にし、彼らが羽ばたけるように道標を作る神田氏。人への尊重は、素材の持ち味を引き出す自身の料理哲学と重なり、一貫した美学があった。そして、日本料理へのストイックな姿勢そのものこそ、日々の鍛錬が未来を切り開くという後世へのメッセージである。
料理人として、メンターとして、神田氏の今後の活躍から目が離せない。
「かんだ」 の紹介ページはこちら。