People 2 分 2023年5月9日

ミシュラン一つ星「プルニエ」松本浩之氏“フランス料理と歩む人生”

テーブル一つ一つにロマンとドラマがある。一つ星「プルニエ」松本氏が語る、フランス料理の魅力とは。

東京會舘「プルニエ」は、昭和9年に魚介専門料理店として誕生し、世代を超えて支持されている。調理長を務めるのは松本浩之氏。フランス料理の道に進み四半世紀以上、現地での武者修業も経験。帰国後は都内のレストランで料理長を歴任し、現在に至る。プルニエのフランス料理とは、そして松本氏の想いを紹介します。

魚や水をコンセプトにした内装。窓際の席から皇居の御堀が眺められる©PRUNIER
魚や水をコンセプトにした内装。窓際の席から皇居の御堀が眺められる©PRUNIER

ロマンとドラマに溢れるダイニング

「薔薇100本を携えたプロポーズ、ビジネスチャンスを掴むための商談、久しぶりに会う仲間との語らい。テーブル一つ一つがドラマチックです。フランス料理にはロマンがあります」。

サービスチームと連携し、ゲストへ積極的に話しかける松本氏。フランス修業時代、料理だけではなく、会話でもゲストを笑顔にするシェフの姿に心を打たれた。「シェフは物知りでなければならないと学びました。お客様にあわせて話します。楽しい思い出を一緒に作り、再びレストランへ足を運んでいただきたいです」。


©Michelin
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一方、優雅なダイニングを支える調理場では目を光らせる。料理の賞味期限は30秒。多くのゲストを迎える日でも、冷めて香りを失わないように、出来たてを直ぐにサービスするようにスタッフへ指示をする。「今はコンプライアンスもありますが、本音で話します。最初は泣いたスタッフも経験を積んで、笑顔で接客するようになりました。成長が嬉しいですね」。

ゲストの人生を彩る料理

「親子代々で通う御家族もいらっしゃいます。成長を祝う大切なひととき。私の作る料理が、お客様の人生の一場面に関わります。料理は数日かけて仕込み、ありきたりのものにはしません。塩分、量、器、流れに細心の注意を払います。お客様はプルニエのために貴重な時間を割いてくださいます。だからこそ、時間をかける意味があると思います」。

「ドーバー産 舌平目のムニエル 木の子とグリーンアスパラガスの焦がしバターソース」はフランス時代に修得した魚料理。ゲストの目の前で盛り付けてサービス。松本氏の火入れとサービススタッフの技が楽しめる代表料理 ©PRUNIER
「ドーバー産 舌平目のムニエル 木の子とグリーンアスパラガスの焦がしバターソース」はフランス時代に修得した魚料理。ゲストの目の前で盛り付けてサービス。松本氏の火入れとサービススタッフの技が楽しめる代表料理 ©PRUNIER

フランス奮闘記  

20代後半、本場の料理を知りたいとフランスへ渡った。ミシュランガイドを片手に、街から街へ旅をしながら働き口を探す日々。書いた履歴書は100通以上。厳しい生活ながらも現地の空気を吸い、五感が研ぎ澄まされてゆく。例えば、「秋にシャンゼリゼ通りを歩いて楓を踏んだ時、カサカサと足から感触が伝わって、ミルフィーユ(楓)の食感はこれだ!とひらめきました。パリは日本より乾燥しているので、現地だから実感できたこと。創作のヒントがたくさんありましたね」。

地方では方言で話すよう努力をすると、次第に仲間として認めてもらえるようになったという。「心を開いて全力でぶつかれば、人は受け止めてくれる。フランスへ行って明るい性格になりました。心が動けば、素敵ですねと素直に表現するようになりました」。

フランス料理界の放つ華やかさも体感した。働いていたレストランがミシュランの星を獲得した翌日、出勤するとフロアにはFAX用紙の束。有名レストランや馴染みの業者からのお祝いだった。普段はクールなシェフが従業員を集め、目に涙を浮かべながら、一人一人にシャンパンを注ぎ感謝を伝えてくれた。「こんな煌びやかな世界があるのかと感動しました。日本でミシュランガイドが発売されたら、必ず星を獲りたいと強く思いました」。

シャモニーモンブラン「アルベール・プルニエ」修業時代に松本氏の父親が来店。レストランのメニュー開発をしていた父親もコックコート姿。同じ料理の道へ進んだことをとても喜んでくれたという。オーナー・ピエール氏を囲んだ記念の一枚©PRUNIER
シャモニーモンブラン「アルベール・プルニエ」修業時代に松本氏の父親が来店。レストランのメニュー開発をしていた父親もコックコート姿。同じ料理の道へ進んだことをとても喜んでくれたという。オーナー・ピエール氏を囲んだ記念の一枚©PRUNIER

目指すのは借り物ではない、自分の料理

フランスから帰国後、都内のレストランで料理長を歴任。50歳の節目にプルニエの調理長へ招聘されたものの、オリジナリティを見出せず苦悩したという。継承された定番料理を守りながら新たな一品を生み出したい。伝統と創作の狭間で揺れ、眠れぬ夜もあった。

模索しながら辿り着いた答えは、食べたい料理を作るというシンプルな想い。「周りに惑わされず、先輩の教えや経験を料理に映す。自分の出自を込めようと決心しました」。そう思うと徐々に心は軽くなり、2年をかけて納得のいくメニューが完成した。弛まない努力の延長線上の結果、客を喜ばすことができる。

一つ星に輝いた夜。スタッフとシャンパンでお祝い©PRUNIER
一つ星に輝いた夜。スタッフとシャンパンでお祝い©PRUNIER

50代を迎えても鼻たれ小僧、日々精進

料理への探究心に溢れる松本氏。今は魚介と旨味の掛け合わせに注目し、旨味成分を一から勉強中。全国各地を訪ね、食材探しも続けている。地方で活躍する後輩を喜びながらも、現役として気概を見せる。「素材選びから火入れまで、無限の組み合わせがあります。紐解けた時の喜びは格別。苦しみもありますが、自分には料理の道しかない。50歳を迎えても、鼻たれ小僧の気分ですよ」と渋沢栄一の名言のように志は高い。

©PRUNIER
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松本氏が初めてフランスへ降り立った時、帰りの切符を空港で破り捨てたという。納得いくまで帰国しないと覚悟を決めたから。そして生涯料理人と決め、料理の世界に身を置いている。シェフとして円熟味を増しながら、あの頃と変わらぬ情熱で、純粋にフランス料理と向き合う姿は凛々しかった。この先も松本氏が展開する「プルニエ」は新たな歴史を刻むだろう。

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