People 5 分 2024年4月16日

ミシュランシェフへの質問―“料理は人なり” シェフの素顔とは― vol.2

業界をリードする 東京の料理人に訊く。普段は知ることのできない角度から読み解きます。

洗練された技、研ぎ澄まされた感性から創り出される料理の数々。感動を生み、魅了させる料理には、作り手の信念や哲学が宿ります。食べ手は作り手の考えや生き方をもっと知ることで、より共感し、より深く料理を味わえるものです。そこで、業界を牽引するシェフに、料理だけでは知ることができない、考えや経験をいくつか質問させていただきました。きっと、おいしい料理だけなく、その人の料理を味わいたいと思考が変わるでしょう。
“料理は人なり”

京都・大阪の料理人を特集した第一弾に続き、今回は東京の料理人を紹介します。

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龍吟/日本料理
山本征治氏

© RyuGin

人生で忘れられない一皿

私が修業していた時、私の師匠とジョエル・ロブション氏のコラボイベントが2000年10月、当時の恵比寿タイユヴァン・ロブションで行われました。その時、ロブションがイベントで発表した料理の一つに、鴨とフォアグラの岩塩包み焼きがありました。
鴨フィレ肉の皮を取り、皮無し状態にした鴨に、フランスから取り寄せた極上のフォアグラを重ね、それを鴨では無く鶏の皮で包んでセジールして岩塩の中に埋めて、コンベクションオーブンで火入れする。葡萄や栗などのあしらいと、グルグル回る見たこともないグリラーで鶏の脂を採取し、それを散らした一皿をフルポーションで味わわせて頂く機会に恵まれました。その味の記憶が忘れられません。

印象に残る本

・「味の風」小山裕久 著
私が日本料理の基礎を学んだ師、小山裕久氏の本。この一冊に出会って、技術の修業と精神の修行が始まりました。
・「吉兆味ばなし」湯木貞一 著
憧れ続けた日本料理の頂である「吉兆」様の創始者、湯木貞一氏の著書。何回読み返したか分かりません。
・「禅」の本。
タイトルは失念しましたが、修業時代に出会った一冊の本を読んで、今の屋号『龍吟』が生まれました。

自身にとっての偉大な人物

妻。毎日私と出勤し、苦楽を共にし、信頼出来る安心と公私にわたるパートナーとして、一緒に現場にいて私の心と店の表の顔として、人生を支えてくれる一人として、最も身近な偉大な人物です。大事な人ほど、すぐ側にいます。

ピンチをチャンスに変える方法

ピンチをピンチだと自分の心が認めたら、それが本当のピンチ。ピンチをなんとか打開するしかないという意識がチャンスにつながる。まずは、その精神が重要。
店を運営しているチーム全員が心に願うもの…。それを全て形にする…。その役目はチームを統括する私の務め。皆が掲げる理想の姿を、どんな時にも大切にし、結束力を強固にする。チームワークの信頼と本音を語り合える真の仲間が揃えば、心細くなる事はない。

最も忘れられない言葉

私の座右の銘は「料理が好きで料理人…」。単純ではございますが、料理というものに対してしか、向上心や我欲、競争力が生まれて来ない人間です。

自分の発想や感覚。そこで生み出していく料理の全てを2024年に一冊の本にまとめて思いっきり世に公開致します。料理人として生きて行くという、その「職」を選んだ尊い未来の若者に、修業時間の無駄を削ぎ落とした早い出世を願い、次世代に捧げる一冊を贈りたいと思います。日本料理の魅力を伝える発信源としての、エネルギーの泉が枯れたら、その料理人の限界なのです。自分たちは、ゲストが私たちに預けてくれた数時間の人生の時を、喜びの価値観として返すプロで無くてはなりません。 「プロに対してプロであれ…」自らの矜持として、その意味を大切にしています。
その心は、おべんちゃらやパフォーマンスで目の前の素人を喜ばせ、納得させるだけのレベルで自分を作ってしまうのではなく、360度、どんなプロから見られても生き方の全てが誰よりも料理を愛している人間だなと認められる事が大切です。
プロの目にさらされても絶対に負ける訳にはいかず、誰よりも料理が好きであると疑わない自分の座右の銘は「料理が好きで料理人…」であります。

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銀座 小十/日本料理
奥田透氏

© Ginza Kojyu

人生で忘れられない一皿

・母親が作る静岡おでん
静岡おでんは、牛すじから出汁をとり、黒はんぺんを入れるのが特徴です。大根もたまごも、醤油ベースで色は真っ黒ですが、皿に取ったあと、イワシと青海苔の粉を振り、辛子をつけ、食べるおいしさは各家ごとの、おふくろの味になっていると思います。
・京都「鮎の宿つたや」生きた鮎の炭火焼き
わずかな期間ですが勉強させていただいた、400年も続く京都鮎料理の専門店の鮎の塩焼きは、私にとって忘れられない一皿でした。
・「とくしま青柳」吉野川産天然大鰻の蒲焼き
2キロから3キロもある天然の大きな鰻は、私の料理観をも変える衝撃的な一皿でした。

印象に残る本

・「味の風」とくしま青柳 小山裕久 著
私の料理観のすべてを導いてくれた本。
・「茶懐石辞典」辻嘉一 著
茶懐石をもとに、日本の四季の食材と茶懐石の心得を余すことなく伝えている本。
・「高橋忠之 料理長自己流」辻和成 著
伊勢志摩に生まれ育ち、若干29歳で志摩観光ホテルの料理長になり、地元の伊勢志摩の食材しか使わないという。他の料理人にはない、料理への信念と哲学を示した本。

自身にとっての偉大な人物

・千利休
世界のきらびやかな美意識の中、唯一わびさびの中の美学を説き、現代にいたるまで、日本人の中で遂行される揺るぎない美を確立した人。
・北大路魯山人
辛い幼少期の中から、美の感性に目覚め、食、陶芸、美術、工芸にいたるまで、独自の世界観を築き上げた人。

ピンチをチャンスに変える方法

ピンチが来たら、チャンスが来るというこの方程式を信じること。ピンチが来た時は、世の中の教えであり、チャンスが来た時は、ピンチの時に考えた成果がチャンスとなって現れる。よってチャンスが来ないときは、ピンチの時にもっともっと考えること。

最も忘れられない言葉

私の人生の中で、温かく優しい言葉や、厳しくも励ましてくれる言葉など、一つ二つの例を取り上げることの出来ない、たくさんのありがたい名言をいただいて来ました。
すべては、日常の数多くのコミュニケーションの中から生まれる、相手を思う気持ちが言葉となって、あらわれるのだと思います。いろいろな方と仕事をして話す、自分をぶつけないと返って来ないことだと思います。
仕事を通じて、真剣にコミュニケーションを取ることが一番大切だと思います。
座右の銘は、努力は人を裏切らないです。

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リューズ/フランス料理
飯塚隆太氏

© Ryuzu

人生で忘れられない一皿

1993年フランス国内を食べ歩きした時に訪れた、移転したばかりの「ミッシェル・ブラス」のスペシャリテ「ガルグイユ」。野菜のおいしさに感動した一皿。

印象に残る本

・「美味礼讃」海老沢泰久 著
辻静雄先生をモデルに描いたフィクションの物語。面白くて一日で完読。辻先生の著書を収集するきっかけに。
・「ステファヌ・ランボー30ans:料理は私の履歴書」
初めて購入した料理書。隅々まで読んで勉強させていただいた本。
・「LAROUSSE La Cuisine Des Terroirs」
フランス各地方の料理、産物が網羅されてる。地方料理を勉強するのに役に立った。

自身にとっての偉大な人物

・辻静雄
辻先生がいなければ日本のフランス料理はここまで発展していなかった。
・ジョエル・ロブション
偉大な料理人であり師匠。

ピンチをチャンスに変える方法

ポジティブ思考でいる事。ネガティブは何も良いことを生み出さない。

料理人人生で忘れられない失敗

独立する際のお金のトラブル。口約束ではなく、きちんとした契約書を交わして事業を進めていくべきだった。

最も忘れられない言葉

座右の銘は感謝。すべての物・事に常に感謝。
世の中は味方半分、敵半分。20代前半の頃、お世話になった先輩に言われた言葉。今となっては、自分の料理を気に入っていただけないお客様がいても、この言葉を思い出して、気持ちを切り替えている。


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野﨑洋光氏

1989年「分とく山」を開店し、総料理長として統括。2023年12月勇退。
© Hiromitsu Nozaki

人生で忘れられない一皿

小学5年生の時に隣家でご馳走になった玉子焼き。甘くて硬い自宅の玉子焼きは苦手でしたが、お好み焼きのようにニラや葱が入った甘くない醤油味の玉子焼きに魅了されました。自分で作れば自分好みに出来ると思い料理を作るきっかけになりました。

印象に残る本

・「食味」多田鉄之助著
行事や海外の食の歴史を勉強した本。
・「食物と日本人」樋口清之著
日本の食の奥深さ、誇り誨い食文化を教えてくれた本。
・「味のしくみ」河野友美著
サイエンス的な調理の仕組みが料理人としての礎になった本。

自身にとっての偉大な人物

・神崎宜武
民俗学者。日本人が何を食べてきたか、日本の食文化を伝える。
・山川宗玄
宗教家(正眼寺住職)。禅の知恵や食の大切さを知る。
・成瀬宇平
元鎌倉女子大教授。私に食の知識を教えてくれた師匠。

ピンチをチャンスに変える方法

平常心が大切。いつまでも続くわけではない。困難や辛苦があっても必ず風向きが変わる。その時まで辛抱すること。

料理人人生で忘れられない失敗

失敗は数多くあります。常に正面から自分の責任として真摯に向き合い、解決のため正直に立ち向かうこと。

最も忘れられない言葉

28歳の時、写真家の秋山庄太郎さんに言われた言葉を大切にしています。40歳までは人の話を聞きなさい(焦らなくてもよい、じっくり進めの意味)。50歳、60歳のうちにいつか花開くからと。その言葉のおかげで、当時の自分はとても楽になりました。


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