挑戦せずして成功なし、あの大谷翔平選手でさえ二刀流は困難な道と言われた。関谷健一朗氏も、無謀なチャレンジだと言われた。しかし、挑戦した結果、新たな道がひらけ、初めて見えてくる景色があった。
2022年11月、ミシュランガイド三つ星「ジョエル・ロブション」関谷健一朗氏が、フランス国家最優秀職人章 Meilleur Ouvrier de France(略称M.O.F.)を受章したという、大変喜ばしいニュースが飛び込んできた。M.O.F.とは、フランス文化の最も優れた継承者にふさわしい、高度な技術を持つ職人に与えられるフランス国家の称号。1924年に開催されて以来、100年近く続く歴史あるコンクールである。M.O.F.の称号を得た者だけが、名誉あるトリコロールカラー襟のシェフジャケットをまとうことが許され、料理部門では、ジョエル ・ロブションなど世界的に著名なシェフ達が名を連ねる。厳格な審査で難易度が高いとされるM.O.F.は3、4年に一度行われる。昨年は500名以上の参加者の中から、書類審査、一次審査(筆記・実技)、二次審査(実技)を経て、最終審査まで進めたのは30名。その中から僅か8名が称号を得たという。この快挙というべき偉業を成し遂げた関谷氏へ話を聞いた。
ターニングポイント―本場フランスで働きたい
料理学校を卒業後、ホテルに就職した関谷氏。「ミシュランガイドは、当時日本では発行されていませんでしたが、ミシュランへの憧れはかなり強かったですね。世界的に評価されるレストランに強く興味を抱いていました」。そして20歳の時、言葉も話せないままフランスを旅して、初めて三つ星の料理を口にした。その時の体験が、本場フランスで学ぶことへの原動力となった。語学は重要なコミュニケーションツール
帰国すると、フランスで働くためには何が必要なのかと考える日々。現代のように、SNSで簡単に調べられる環境ではなく、なかなか前に進まない状況が1年続いた。しかし、フランス行きを決心した時、まず考えたことは語学の重要性。「当時は二十歳過ぎでまだ技術がなく、すべてを吸収するには語学がとても大事だと思っていました。そこで、しっかりと勉強をしてからフランスへ行ったので、よっぽどのことでない限り、言葉の問題で困ったことはなかったです」と関谷氏。学習期間を尋ねると、驚くことに僅か3ヶ月で伝えたい事を言葉で表現できるレベルになったという。「今までの人生で一番勉強したかもしれませんね。自分が本当にやりたいことをするために、フランス語が必要だったから勉強しただけです」と笑顔で話した。
渡仏して何年か経つと、何十人ものスタッフを束ねる立場になり、人事や業者とのやり取りも担うようになる。また、カウンタースタイルのラトリエ ドゥ ジョエル・ロブションでは、ゲストと話す機会も多かったため、文法まで正しく話せるように心掛けていたという。
「フランス語が上手ですね」と言われると、多くの人は嬉しく思うだろう。しかし、関谷氏は、まだネイティブのレベルには達していないと少し悔しい気持ちになったという。徹底した強い意志と姿勢があったからこそ、これまでの道を切り拓けたに違いない。
「M.O.F.」への挑戦―決して諦めない心
「M.O.F.は、無謀なチャレンジ、絶対無理と思った人もいるでしょう。でも僕はそんなことは絶対考えなかったし、諦めないという気持ちを強く持っていました」と、周囲の雑音に惑わされず信念を貫いた。その“諦めない心”は、師と仰ぐジョエル・ロブションの言葉でもあったという。「ただ自分のためだけという熱量では、決して成し遂げられなかったと思います。ジョエル・ロブションが他界して、いなくなってしまったからこそ、頑張って報いたい。そのプラスの力が加わったと思います」。
感謝の気持ちー全てが繋がった瞬間
受章の喜びを誰に伝えたいかを尋ねると、「19歳で働き始めてから今にいたるまで、サポートしてくださった多くの方々です。試験の課題では、これまで教わった事を思い起こす場面が多く、ひとつひとつ、コツコツとやってきたこと全てが繋がった瞬間に思えました」。フランス料理の伝統と技術を継承
「人間国宝は長く功績を残した人に授与されますが、M.O.F.はキャリアに関わらず自ら挑戦して取りに行く章。これからは、知識、技術、経験を次世代に伝えていくことが一番の仕事。伝統と技術を継承していく責任を感じています」と語る。また、「料理人は、楽しいと思えるようになるまで時間がかかる。僕も20数年やってきて今ここにいる。必要な量をこなしてこそ、身につく技術は間違いなくある。数年で諦めてしまうのでは、折角習得した技術や知識がもったいないですよね」と、自身のキャリアを振り返り、これからの料理界を担う若いシェフ達にエールを送った。
話を伺うと、言葉にはできない失敗や挫折があったでしょう。ただ諦めない継続、それを支えた好奇心、挑戦する勇気の中に、これだけやってきているという自信も感じました。1964年の東京オリンピックを境に数多の料理人が、本物のフランス料理を学びたいと渡仏しました。今では多くの日本人シェフが世界中で活躍しています。その道筋を作ってくれたのは、多くの諸先輩方。関谷氏はその第四世代。フランス国旗でもあるトリコロール襟のシェフジャケットをまとう関谷氏。次の世代で活躍する若い料理人の育成に励み、料理人という生業がどれだけ素晴らしいことか伝え模範となり、フランス料理を後世に伝えるために更に活動するでしょう。今後のご活躍と共に、フランス国家最優秀職人章受章、心からおめでとうございます。
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Illustration image:©Joël Robuchon