サービスアワードとは訪れる人を心地良くすることができる、おもてなしに優れたスタッフに授与される賞。プロフェッショナルかつ魅力的であり、レストランでの体験が特別なものになるような接客をする人に授与される。サービスに対する心からの情熱を称える賞である。
「ミシュランガイド東京2023」にて二つ星、さらに持続可能なガストロノミーの模範となるミシュラングリーンスターとしても評価された「傳」。長谷川在佑氏の妻、女将としてスタッフを束ねる長谷川えみ氏が、サービスアワードを受賞した。家族や友人を迎え入れるかのような温かいもてなしは、国内外から訪れる多くのゲストを魅了し続けている。女将が考えるサービスとは。その想いに迫るべく、神宮前にある「傳」へ向かった。
ターニングポイント
飲食業界に入ったのは20代半ばと遅かったと話す長谷川えみ氏。当時、主人が独立を考えるようになり、夫婦で切り盛りすることを見据え、厳しい世界へ飛び込んだ。時期は異なるものの、主人と同じ料亭で修業し、立ち振る舞いから作法に至るまで教わった。また、別の料亭では、婚礼や慶事、海外ゲストへのおもてなしまで経営に必要なことを学び、内容の濃い数年を過ごしたと語る。“お会いできるのを楽しみにしていました”
「傳」のサービスは、予約を受けた瞬間から準備が始まる。話の内容、声のトーン、メールのやり取りで何を期待されているのか?ビジネス、お祝い事、記念日など、どのようなシーンで来店するのか?色々とイメージを膨らませて準備をする。そうすると、待ち望んだ当日には、心から“お会いできるのを楽しみにしていました”となる。それは家族や友人を家に迎えるような気持ち。お客様にリラックスしてもらうのが一番と話す。さらに、予約を担当する山口典子氏はこう続ける。海外のお客様の場合、来日当日だと心身ともに疲れるため、滞在期間を伺い数日ずらして案内することもあるという。また、妊婦と分かれば、なるべく早い時間帯に調整する。もちろんインターネットからの予約も可能だが、アナログの良さもある。実際に話して希望に沿えなかった場合、どのようにすり合わせできるのか親身になって行う。ゲストに寄り添いながら予約を受けるのも、女将から学んだことと話す。「完璧な人はいないと思いますが、女将は完璧に近づけるように努力をし続ける人だと思いますね」と10年間ともに奮闘してきた山口氏らしい言葉で語った。
スタッフ全員でお客様の情報を共有する大切さ
毎日行われるミーティングでは、来店客の特徴や料理の進行など、キッチン、ホールスタッフ全員に情報が共有される。それは、ホールスタッフが飲料の用意で目が届かない場合でも、フロアを見渡せるキッチンスタッフが、客の様子をキャッチして伝達するなど、チーム全員でサポートするため。勉強中の若いスタッフを、他店へ食事に連れ出すこともあるという。素晴らしいサービスだった、もう少しこうだと嬉しかったなど、気づいた点を話し合い、自分が接客を受けて感じた思いを忘れないようにと伝えるため。
また、実際に客席へ座らせてみる。すると、普段と異なる視界や、空調の当たり具合に気づく。自ら客の目線を体験することで、店内の居心地の良さを考えるようになる。静かに食事をしたいとき、賑やかな席に通されたらどう感じるのか。来客の顔を思い浮かべながら席を配置しているという。
お客様からの苦言はすぐアクション
接客業において、客から苦言を呈されることもあるのではと女将に質問すると、実にポジティブな答えが返ってきた。「先ず、できることはすぐに対応します。抽象的なご意見や時間がかかることについては、申し訳ありませんと言うのは勿論ですが、その言葉をいただいたことにお礼を言います。二度とこの店には来ないと思えば言ってくださらないこと。応援する気持ちがあるからこその言葉だと思います。お詫びと感謝の気持ちをこめて、すぐにチームへ伝え、改善していきます」。また、「傳」では飲料の品書きをあえて用意しないという。なぜなら客とコミュニケーションをとりながら、次の料理に合う飲み物を提案するため。希望する酒が無い場合でも、「無いです」「すみません」という言葉は極力使わないようにしている。例えば、「香りのよい黒糖のような熟成麦焼酎がありますが、もしよろしければ召し上がってみませんか」と、代替え案を用意。また、必ず「いかがでしたか」と感想を聞くことで親睦を深めている。
確かに、言葉の使い方次第で心地よく感じたり、残念に感じたりと、受ける印象が変わってくる。これは言葉のマジックであり、長谷川氏は客とのキャッチボールを楽しみながら、おもてなしの心を体現している。ここには接客業だけでなく、日常においても人とのコミュニケーションを円滑にするヒントが詰まっていると感じた。
接客の面白さを感じる時は?
「私は主人が作る料理の一番のファンです。お客様に分かりやすい言葉でお伝えして、料理を召し上がった瞬間、笑顔があふれるのが嬉しいです。以前、初めて来店されたご夫婦が、少し重い空気でいらっしゃったのですが、接客していくうちに少しずつ笑顔になられて、『実は子供のことで喧嘩していましたが、おいしいものを食べていたら、ばかばかしいねと二人で笑ってしまいました』。そういうお声を頂いた時はやってきて本当によかったと実感します」。満足できる日は一日もないです
「お客様が笑顔でお帰りになっても、その日を振り返ると、あの時もっと別の伝え方をすれば良かった、もう少し違うサービスの方が良かったかもしれないと悩みます。そういう時は、とことん落ち込もうと思っています。スタッフにもミスをしてテンションが下がってしまう人もいるので、『私なんかいつも落ち込んでいるよ。これを機にジャンプしてみよう』とポジティブに励まします」。自身の経験をミーティングで共有して、他の人が同じ失敗をしないよう、次へ生かすことが大切と前向きに語る。
プライベートと仕事
プライベートの過ごし方を尋ねると、芸術鑑賞、舞台、ミュージカル、映画などを観るのが好きだという。ライブだからこそ伝わってくる感動は何事にも代えがたいエンターテイメント。悲劇があれば、コメディーもあり、そこで泣きじゃくり、大笑いすることでストレス発散になる。リフレッシュしたから切り替えていこうと思えるのだと話す。いわばプライベートの過ごし方が仕事にも繋がっている。「レストランは料理を提供する場ですが、エンターテイメントのように感動いただける劇場でありたい。くつろげる空間をつくり、お客様の時間を大切にしたいと思うのです」。
「傳」の頭脳であり、要である、“司令塔”
長谷川在佑氏が語るえみ氏。女将という役職は、歌舞伎と相撲と料理屋ぐらい。時には従業員の母親役も担うという。「自分のことよりも、365日24時間、お店全体のことを考えています。女将がいないと機能しない。そういった意味では傳の頭脳であり、要であり、言わば司令塔。失敗は悪いことではなく、完璧でないほうが応援してくれるファンも多い。常にチャレンジし続ける姿は、お店にとっても、お客様にとっても、美しく感じるのではないでしょうか」と話す。また、店を始めた頃から変わらず、今日が一番大事。今できることを精一杯やる。その積み重ねでレベルを上げていくことが、これからの目標であり、常にチームで話し合っていると抱負を語った。