People 3 分 2022年7月15日

ビブグルマン「かつお食堂」永松真依氏 “カツオと描く未来”

鰹の文化を未来へ繋げたい。鰹を愛し、全国を回遊する永松氏。その魅力に迫る。

場所は渋谷区鶯谷町。渋谷駅から少し離れた閑静なエリアに「かつお食堂」はある。削りたての鰹節をご飯にかけ 、味噌汁と共に提供している。″かつおちゃん“の愛称で親しまれ、鰹の文化継承へ奮闘する永松氏。祖母の味噌汁を原点に、走り続けた11年。その心の変遷と今後の夢について伺った。

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永松真依氏のプロフィール

1986年神奈川県生まれ。25歳の時、祖母が作る味噌汁に感動。これを機に鰹節に興味を持ち、産地巡りを始める。2015年、鰹節を販売するセレクトショップを設立。 2017年に知人のバーを間借りして「かつお食堂」をオープンし、2019年に独立し現在地へ移転。定期的に産地に赴き、生産者との交流を続ける。「かつおワンダーランド」と称した食育活動も行い、鰹の魅力を発信している。


祖母が描いた鰹の暖簾が目を引く。原点を忘れないようにと、自らの舞台に掲げた
祖母が描いた鰹の暖簾が目を引く。原点を忘れないようにと、自らの舞台に掲げた
愛情を込めて鰹節を削る音と香りが店内に広がる

合言葉は「ありがつおございました」

永松氏は、日々想いを込めて鰹節を削る。炊きたてのご飯にたっぷりの削り節、鰹だしの利いた味噌汁。昔の記憶を思い出させるような和食を求めて、様々な人が店を訪れるという。「海外の方もお越しになります。鰹節は日本のソウルフード。人を問わないところが魅力ですね」と語る。

鰹節との出会いは25歳の時。福岡県の祖母の家で味わった味噌汁。愛情たっぷりの味に加えて、祖母の鰹節を削る所作に強く心を惹かれた。「食と真剣に向き合う姿は格好良かったですね。祖母の愛情も伝わってきて、とても感動しました」と当時を振り返る。東京に戻った永松氏は、自分も祖母のようになりたいと鰹節を削り始める。新たな人生の1ページが幕を開けた瞬間だった。

店内の片隅には、祖母から譲り受けた削り器が飾られる。祖母が結婚したときに、祖父から贈られたもの。昔から鰹節は縁起物として重宝されてきた
店内の片隅には、祖母から譲り受けた削り器が飾られる。祖母が結婚したときに、祖父から贈られたもの。昔から鰹節は縁起物として重宝されてきた

一汁一飯のスタイル は、家族に作っていた朝食がきっかけ。シンプルながらも、喜ばれ嬉しかったという。お互いの顔を見ながら、食卓を囲む空間。家族との時間が、店内の温かな雰囲気のベースになっているのだろう。


素材は鰹節の最高峰といわれる本枯節。一節ずつ個性があり愛着が湧くという
素材は鰹節の最高峰といわれる本枯節。一節ずつ個性があり愛着が湧くという

印象的なのは、鰹漁や生産者の話を交えて料理を振る舞う姿。「現場の風景を伝えることで、命をいただくことへ感謝するきっかけになれば」と願う。そして最後は、「ありがつおございました」と客を送り出す。茶目っ気のある言葉から、鰹への愛情を感じて思わず笑顔になる。

大漁旗が飾られた店内。漁師の方々へ敬意を込める
大漁旗が飾られた店内。漁師の方々へ敬意を込める

鰹の文化を守り、未来へ繋げたい

鰹の一番の魅力は、歴史・ 文化と言う永松氏。その想いを強くしたのは、2018年カツオ一本釣り漁への乗船だった。場所は、沖縄県伊良部諸島。 古い仕来りから男性しか参加できないところ、 知り合いの伝手をたどり、観光化の波も後押ししてチャンスを掴む。

荒れる波、激しい船酔い。厳しい状況の中、初めて釣り上げた時、体全体で感じた鰹の生命力に驚いたという。同時に、漁の厳しさから命をいただくことの重みを体感した。これを機に、鰹のおいしさだけではなく、生体に興味を持ち、次第に歴史・文化の奥深さへ引き込まれてゆく。

沖縄県伊良部島諸島にて、 漁師の方々との記念写真 ©Katsuo Shokudo
沖縄県伊良部島諸島にて、 漁師の方々との記念写真 ©Katsuo Shokudo

縄文時代の遺跡が物語るように、鰹の歴史は古く、季節を呼ぶ魚とも呼ばれている。江戸時代には「目に青葉 山ほととぎす 初鰹」と詠まれ、旬の鰹を味わうことは江戸っ子の粋とされた。

生きの良い鰹が手に入れば、刺身や丼物を提供。旬を届ける文化を大切にする  @Katsuo Shokudo
生きの良い鰹が手に入れば、刺身や丼物を提供。旬を届ける文化を大切にする @Katsuo Shokudo

古くから鰹節は神餞や縁起物など、日本人の生活に寄り添ってきた。だしは日本料理に欠かせない存在。和食が無形文化遺産に登録され、旨味成分も世界的に注目を集める。

だしの利いた味噌汁。郷土料理を参考に、削り節を「追い鰹」©Katsuo Shokudo
だしの利いた味噌汁。郷土料理を参考に、削り節を「追い鰹」©Katsuo Shokudo

和食文化の源流として、人々を魅了してきた鰹。しかし、業界の現状は厳しい。漁業人口の減少、燃料費の高騰などの問題を抱える。伝統文化は自然に寄り添う産業。現場を知るからこそ、伝えるメッセージがある。「鰹の文化を守り、未来へ繋げたい」との志を強くしていった。

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夢は「かつお博物館」

文化継承に想いを馳せながらも、模索の日々が続く。活動を広げるほど、利益重視の現場や業界の裏側を知るようになる。伝え方に迷いが生じ、鰹節を削れなくなり、店を早く閉めた日もあったという。

悩みながら出した答えは、自らの世界観で「かつお博物館」を作ること。産地巡りでの体験や、現地の人から聞いた昔話を、歴史をふまえて未来へ伝える。店内の展示スペースはその第一歩。「味わいながら、学んでもらえたら」と話す。

味わいながら学べる「かつお博物館」。資料集めから展示まで、永松氏が手掛ける
味わいながら学べる「かつお博物館」。資料集めから展示まで、永松氏が手掛ける

産地復活への思い

鰹節の産地復活へも意欲を燃やす。その足掛かりとして、数年後にモルディブへの旅を計画している。モルディブは鰹節の食文化がある国。最南端の島では、職人でなく、地元の人たちが鰹節を作っているそう。その様子を見て日本に取り入れ、誰でも気軽に作れる“My鰹節”を実現したいという。「文化継承は、一人ではできません。鰹業界の人達を巻き込んで、かつての賑わいを取り戻したい。皆でつないでいきたいですね」と将来への展望を語った。

食育活動「かつおワンダーランド」

「かつおワンダーランド」と称した食育活動も行っている。先日の野外イベントでは削り器の体験コーナーを設け、持参のおむすびに振りかけ食べてもらった。「日本の味」を求めて、子供からお年寄りまで参加したという。昔は家庭で鰹節を削るのは 日常だった。しかし、生活スタイルの変化により、失われつつある。毎日でなくても、ふとした瞬間に「今日は鰹節を削って、だしを引いてみようかな」と選択肢の1つになってほしい。皆でおいしさを分かち合いながら、気軽に本物の味に触れる。鰹節のある豊かな暮らしを復活せたいとの熱い思いが伝わってきた。

@ Katsuo Shokudo
@ Katsuo Shokudo

産地と東京を結ぶ拠点として

産地への移住を尋ねると「1つの産地を贔屓したくないですし、東京のネオンも好きなので」と微笑みながら、こう言葉を続けた。「私は直接鰹を仕入れているので、漁師の方は東京で鰹が食べられていると実感でき、励みとなります。漁師・ 職人の方にとって、『かつお食堂』は文化を残すための大事な場所だと期待を寄せてくれます。ミシュランガイドへの掲載も、携わる人たちの光になりました。小さな店ではありますが、本物を伝える場所として、東京を拠点に活動を続けたいですね」。

宮崎県日南市で、鰹の水揚げを手伝う。産地に赴き、生産者との交流を図る
宮崎県日南市で、鰹の水揚げを手伝う。産地に赴き、生産者との交流を図る

生産者や自然の恵みに感謝し、鰹の魅力を発信する永松氏。食べる側はその想いを受け取り、人の和が広がっていくのだろう。祖母の愛情から始まった鰹と回遊する未来へのストーリー。今後の展開も楽しみだ。

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