日本はどうですか?暮らしや、仕事、人、文化の違いなど自由にお聞かせください。
四季とともに育まれてきた料理や伝統、海や山の食材、肉や魚、野菜、フルーツなどに囲まれ生活できる環境は世界でも日本だけです。そのような恵まれた環境にシェフという立場として身を置けるのは、とても喜ばしいことだと感じています。
日本の食材についてどう思いますか?
イギリスや香港のように、ほとんどの食材を輸入に頼っている場所で生活しました。その後に、国産食材を主として取り扱う都市で料理をすると、食べ物や料理に関する考え方ががらりと変わります。なぜなら、ここ東京を訪れる国内外のゲストは、世界中のどこよりも、食材の産地や質も重視しているからです。
日本の食材でお気に入りの食材とその理由は?
ジビエですね。日本にこんなにも多くの種類のジビエが存在するとは知らなかったです。また、素材の質や入手方法が安定しているのもポイントですね。
ロンドン、ニューヨーク、パリ、香港と大都市で経験を積まれていますが、それぞれで学んだことは?
ロンドンでは素早く効率的に働くこと、ニューヨークではプロフェッショナルとして働くこと、そしてパリでは調理技術を学びました。
香港では(キッチンの中だけではなく)未来を担う世代であるという認識、ゲストとの関係構築、評判や基盤の築き方を体得しました。
ⒸSÉZANNE
なぜ次の目的地に東京を選んだのでしょうか。
日本、特に東京は、レストランやシェフの質の高さにおいて、世界トップの都市だと思います。そのような都市、東京において、シェフとしてインパクトを残し、若いシェフたちに影響を及ぼしたい。そして、私は料理人として、多くのことを達成できると感じたからです。
もし誰かに「東京で料理をしてくれませんか?」と尋ねられたら、シェフであれば決してNoとは言わないでしょう。
尊敬する人を教えてください。
茶禅華の川田智也シェフですね。彼の作る中国料理は、エレガントで洗練され、おいしいという観点から驚くほど独創的です。それなのに、中国料理という枠組みから決して外れていないのです。
いままでの数々の経験の中で、苦労や窮地に立たされたこともがあったと思います。困難をどうやって乗り越えたのでしょうか。
料理人としての下積み時代は大変な時期でした。長時間働き、十分なお金を稼ぐことができない、とても孤独な職業です。駆け出しのころは、友人と遊ぶ時間や自由な時間はなかったですが、私はそれをきっかけに誰よりも働き、自分自身を追い込んだように思います。今までの人生の多くの時間を料理に費やして他のことを犠牲にしてきたと思います。なので、その時間が無駄ではなかったと証明できるよう、価値あるものにしていきます。
あなたにとってミシュランガイドとは?
ミシュランガイドは若いシェフにとって、大きな意味を持ちます。
それに向かって努力するものでもあり、ハイクオリティな料理、サービスを目指し、今自身がやっていることが、正しい方向性なのかを知るためのベンチマークとも言えます。そしてシェフにとっては、自身を再認識する良い指標です。私がもっと若かった頃は、どこで働くか、誰から学べばよいのか教えてくれるガイドの役割でもありました。
あなたにとって料理人とは?
私にとって料理人とは責務です。私には、食、レストラン、チームへの教育に関する責任があります。彼らがセザンのキッチンを離れる時、ここに来た時よりも多くを身に付けたことを確認し、広い世界へ送りだしたいと思います。
同じ世代、特にシェフを目指す若手へのアドバイス、メッセージをお願いします。
若い人は一生懸命努力することで目標を達成できると理解する必要があります。待っていてもなにも与えられません。しかし十分に努力をすれば、“夢”は必ず達成されるでしょう。