漆 とは
漆(うるし)の語源は「麗し(うるわし)」「潤し(うるおし)」といわれ、瑞々しい艶やかさを表す。そもそも漆とは、うるしの木から滲み出た樹液のこと。縄文時代から生活に取り入れたと考えられ、16世紀には漆芸品としてヨーロッパへ輸出。西洋の貴族を大いに惹きつけ、現地のモノ づくりや文化に影響を与えた。その技術は「ジャパニング」と呼ばれ、木目調だったピアノを漆黒に変えたのも日本の漆が関わっている。
漆は耐久、接着、防水、抗菌など優れた特性を持つことから食器にも使われてきた。漆器は日本料理に欠かせない器であり、美と実用性を兼ねる作品といえる。
漆器の産地
北は青森県の津軽漆器から南は沖縄県の琉球漆器まで。産地が点在するのは、江戸時代に諸大名が漆工芸を産業化し繁栄させたから。石川県では「木地の山中」「塗りの輪島」「蒔絵の金沢」と地域で特色を見せる。産地による個性を知るとさらに楽しい。
漆器業界は分業制が通例。ろくろで木地を作る木地師、漆を塗る塗師(ぬし)、金や銀を蒔く蒔絵師に分かれ、一つの作品を分担しながら仕上げてゆく。それぞれの工程が専門職なのは、長年の職人技と勘が求められ、手作業で同じ形に仕上げるため。木地の乾燥、漆を塗った後の乾燥など、湿度と温度管理をしながら寝かせるゆえ、完成まで時間を要する。さらに原材料として天然漆を採取するための、うるし栽培家と漆掻き職人の地道な仕事も忘れてはならない。
蒔絵の文様
蒔絵とは、漆器の表面に絵柄や文様を描き、金や銀などの粉を蒔く技術や工芸品のこと。古典文学にちなむ図案、季節の情景、伝統文様などが用いられ、美しいだけでなく意味を持つのが興味深い。例えば、鶴、亀の縁起が良いとされる動物。梅、桜、菊などの植物。川の流れ、海の波といった自然が生み出す文様など。七宝つなぎは、円がどこまでも連鎖している様から、円満、調和、縁(円)への願いを意味する。青海波(せいがいは)は水面の波頭を幾何学的に連続させ、穏やかな波の様子から平和や幸せの象徴として。そのほかにも麻の葉や亀甲といった「和柄」があり、健康、長寿、開運など、幸運を招く祈りが込められている。
煮物椀
懐石や会席の献立で要となるのが「煮物椀」。椀物や漆器のどちらも煮物椀と呼ぶ。艶やかな椀を愛でながら旬の種を味わうのが日本料理の醍醐味。木製のため汁が冷めにくく、漆の触感にはやわらかな感覚がある。手に取ることで優しい温もりが伝わり、顔に近付けることで香りも味わえ、器に唇をあて感じることのできる無二の文化。まさに五感で味わう喜びがある。器と料理の調和を見せる日本料理店を紹介したい。
ごだん 宮ざわ(京都/一つ星)
鶯(うぐいす)と梅が描かれた雅な京漆器。この鶯宿梅(おうしゅくばい) という絵図には物語がある。平安時代、御所の梅の木が枯れたことで天皇が家来に梅を探させた。西の京の屋敷で見つかり御所へ運ばれたが、梅の枝に家主からの短冊が結ばれていた。「帝の御命令ならば恐れ多く謹んで献上しますが、鶯が私の宿はどこへと尋ねてきたら、どう答えればよいでしょうか」と書いてあった。天皇は不思議に思い調べさせたところ、その梅は家主の父の形見だった。詩情を憐れみ、すぐさま元の場所に返されたという逸話がある。器に盛った料理は「ぐじと大根の薄氷(うすらい)仕立て」。うぐいす菜の緑が春の到来を予感させ、蒔絵の鶯が嬉しそうに飛んでいる。
銀座 小十(東京/二つ星)
朱塗りに螺鈿(らでん)の桜が埋め込まれた輪島塗。この作風は「明月椀」と呼ばれ、織田信長の弟であり、茶人として千利休に師事した織田有楽斎が考案したとされる。有楽斎との関連は不明なものの、鎌倉の明月院に伝来したことから寺院の名が付けられた。桜は国花であり、春に相応しい文様。数多の花が咲くことから「繁栄」や、五穀豊穣の神が宿る木として「豊かさ」の願いも。料理は「あいなめ、よもぎ豆腐のお椀」。明月椀は修業時代からの憧れであり、春の種を代表するあいなめを盛るのが夢だったという。華やかでありながら品格が漂う煮物椀が春の陽気に包まれている。
柏屋(大阪/三つ星・ミシュラングリーンスター)
黒漆の椀に波蒔絵を描いた輪島塗。落ち着いた黒と繊細な蒔絵が格調高い。煮物椀は「キヌアの葛豆腐」。南米原産の穀物に目を付けたのは、キヌアが世界の食糧危機を救う記事を読んだから。和の心を重んじつつも新たな意欲が創作させた。漆黒の椀が夜空を思わせ、キヌアの粒が葛の透明度で輝く。それはあたかも天の川の星のよう。鱧に添えた梅肉は愛の色。七夕の恋の物語が秘められている。
漆はサステナブル
昔から日本人はモノを大切に扱う、無駄にしない“もったいない精神”を伝えてきた。壊れた陶磁器を漆と金で継ぐ「金継ぎ」もその心から。漆器は漆を塗り直すことで使い続けることができ、国宝や重要文化財の修復にも生かされる。しかも天然樹液のため環境に負荷を与えないサステナブルな素材。しかしながら現代の生活様式の欧米化と化学の進歩により漆器が縁遠くなってきた。漆の需要が減ったことで生産量が減少し、伝統工芸の継承が危うい。今こそ日本の象徴ともいわれる漆をライフスタイルに取り入れよう。日本が誇る伝統文化と持続可能な未来のために。