People 2 分 2022年6月10日

二つ星「てんぷら近藤」 近藤文夫氏の“天ぷら人生”

世界に天ぷらを広めたい。半世紀にわたり情熱を注ぎ続ける近藤氏に迫る。

高級ブティックが立ち並ぶ日本有数の繁華街「銀座」。御影石の歩道が目をひく銀座5丁目並木通りに「てんぷら近藤」がある。銀座で成功するのはひとにぎりと言われるなか、30年以上鍋の前に立ち、国内外から注目を浴びる店に築き上げた。今なお新たな天ぷらを模索し、挑戦し続ける近藤文夫氏。その原動力となる想いとは。

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1947年東京生まれ。高校卒業後、東京「山の上ホテル」へ就職。和食部門で修業し、23歳で料理長へ抜擢。当時は魚介の天種を厚い衣で揚げるのが主流であったが、色鮮やかな季節野菜を取り入れた薄い衣の天ぷらを考案。各界の著名人、文豪からも愛される。1991年43歳で「てんぷら近藤」を銀座に開店。長年にわたり業界を牽引し、2019年「現代の名工」に天ぷら職人として初選出された。


小さなビルの9階。暖簾をくぐり進むと、厨房を囲むように配されたカウンターが広がる。近藤氏の技を披露する舞台ともいえる
小さなビルの9階。暖簾をくぐり進むと、厨房を囲むように配されたカウンターが広がる。近藤氏の技を披露する舞台ともいえる

世界に天ぷらを広めたい

魚介が中心だった天種に、季節野菜を取り入れ薄い衣で揚げる。現代における江戸前天ぷらの範を示した近藤文夫氏。43歳で独立開業を決めたのは、何からも縛られることなく自由に天ぷらを追求し、世界に広めたいという想いから。

写真家の土門拳から贈られた書に「味」とある。味は口に未来の未と書くことから、料理はおいしいだけではなく、未来への感動、すなわち美しさがなければ、味にはならない。これが独創的な美しい天ぷらを創り出す原点である。

天ぷらの発展のためならば、レシピも惜しみなく公開する。調理技術は門外不出というイメージがあるが、「そんなことでは天ぷらという料理は広まらない。他の店で使われても、さらに競えるように努力し続けなければなりませんね」と話す。

厨房内には色とりどりの季節野菜が並ぶ。土を見れば食材の良さがわかると、定期的に産地を訪れる
厨房内には色とりどりの季節野菜が並ぶ。土を見れば食材の良さがわかると、定期的に産地を訪れる
名物の人参は、苦手な人でも楽しめるようにと細切りにして甘みを引き出す。目にも美しい季節野菜の天ぷら<br>©Tempura Kondo
名物の人参は、苦手な人でも楽しめるようにと細切りにして甘みを引き出す。目にも美しい季節野菜の天ぷら
©Tempura Kondo

自分はまだ80点

長年走り続け、借金も完済したことから、65歳のときに天ぷら職人を辞めようと思ったという。心に迷いが生じた時は、著名人から送られた書や手紙を飾った自宅の部屋に入るそうだが、そこで「まだ80点の男じゃないか」と言われた気がしたそう。そうなのかと考えると、将来を担う若い世代の育成、天ぷらの発展など、残り20点まだやるべきことが沢山あると気づいた。

メディアへの出演や、書籍の出版を通して、天ぷらの魅力を発信し続けるのはそのため。自分は未来のための繋ぎ。自らが謙虚に努力し、挑戦し続ける姿を若い世代へ示していくことが大切なことと語る。「天狗にならず一生懸命がんばりなさい。そして自分の個性を出しなさい」と若者へエールを送る。

笑顔あふれる店内。和やかな雰囲気も魅力の一つ
笑顔あふれる店内。和やかな雰囲気も魅力の一つ

近藤氏を支えるスタッフ、家族との絆

19歳で入店以来30年勤務する北川氏。師匠について尋ねると、謙虚でおごることなく、誰に対しても態度を変えない近藤氏の人柄が語られた。一般的に名声を上げ、立場が上になると、周りに対して横柄な態度をとる人もいる。しかし、北川氏に対しても、新人のころから今に至るまで全く変わらないという。「なかなか真似できることではないですね」と敬意を示した。

また、奥のカウンターを任される長男の雅彦氏が話すのは、近藤氏のお客様への気遣い。常に動きに目を配り、反応を見逃さない。そのしぐさ一つで、何を考えているのか分かるのだという。また、天ぷらは揚げる瞬間に、職人の感情が味にも出るという。鍋の前では心を揺らすことなく、平常心を保つのも、父の背中を見て学んだこと。「てんぷら近藤を守りつつ、世界にも目を向けていきたい」と将来への展望を語った。

長年寄り添い、傍で支える妻の春美氏は、開業当時を振り返る。1991年といえば、ちょうどバブル崩壊の年。銀座の家賃は高いうえ、オープン当初は客足が少ない日が続いた。子供たちもまだ小さく、収入面では少し不安もあったが、必ず成功すると確信していたという。それは、厳しい社会情勢の中でも、目先だけでなく5年、10年後を見据えた経営者としての資質を信頼していたからと明るく語った。近藤氏を下支えする晴美氏の言葉に、夫婦の深い絆を感じた。

「家族の写真は4人揃わないと撮らないです」。その言葉に、強い絆がうかがえる。夫婦の両脇を、天ぷら職人の長男雅彦氏(右)、接客を任される次男貴彦氏(左)が固める
「家族の写真は4人揃わないと撮らないです」。その言葉に、強い絆がうかがえる。夫婦の両脇を、天ぷら職人の長男雅彦氏(右)、接客を任される次男貴彦氏(左)が固める
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恩師、池波正太郎への想いを胸に

調理服に目を向けると、左胸には勢いのある筆跡で「てんぷら近藤」と刺繍がある。尋ねると、生前に近藤氏を支えた直木賞作家の池波正太郎が、手紙にしたためたものだという。「私の独立開業を見届けることなく亡くなった池波先生への恩返しになればと、奥様へお願いして使わせてもらいました。『近ちゃんよく頑張ったね』と先生が喜んでくれたら嬉しいですね」と微笑んだ。近藤氏の“天ぷら人生”を、恩師も誇らしく見守っているに違いない。

近藤氏にとってミシュランとは

「ミシュランガイドは、レストランを評価する一つのカテゴリーとして形作ってくれました。星付きレストランになったからこそ、より良いものを作る。楽をしてはいけない。名声にあぐらをかいて、その気持ちがなくなったら、やめなければいけない。どんな注文が入っても対応できる。そういう意識を持つことで、より星が輝くのでは」と語った。

謙虚な心と感謝の気持ちで天ぷらの発展を願う近藤氏。天ぷらはもちろん、親しみやすい人柄を求めて、多くの人が足を運ぶのも納得である。残り20点を埋めるべく、75歳のあくなき挑戦は続いていく。


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