日本はいかがでしょうか?暮らし、仕事、人、文化の違いなど自由にお聞かせください。
日本は独自の文化を持つユニークな国という印象があり、以前から興味を持っていたので、東京でシェフを務める話には二つ返事で引き受けました。イタリアとの食文化、国民性、文化の違いは、料理を創作する刺激になっており、とても充実した時間を過ごしています。市場に足を運び、食材の勉強をしていると伺いました。日本で気に入った食材とその理由は?
季節ごとに変わりますが、春ならぜんまいなどの山菜や旬の野菜です。備長炭による炭火焼にも注目しています。様々な日本の食材を火入れすることで、どんな味わいを引き出せるのか、日々勉強しています。
イタリア、フランス、デンマークで経験を積まれてきましたが、東京でチャレンジしたいことは?
「ベラ クッチーナ イタリアーナ(Vera cucina italiana)」、つまり伝統的な食材の組み合わせや歴史を踏まえた真のイタリア料理、イタリアの魂のようなものを、東京から世界へ向けて発信したいです。日本の食材や調理方法を用いる一方で、誰が食べても「ああ、これがイタリア料理だ」と感じる新たな表現を追求しています。Photo / ⒸGucci Osteria da Massimo Bottura Tokyoイタリア料理は「マンマの味」、日本では「おふくろの味」という言葉があります。母の味を超えることはできないという著名な料理人も数多くいますが、どのように思いますか?
本当にそう思います。私の礎は、両祖母が教えてくれた家庭料理です。イタリア料理の本質を大切に表現したいと常々考えていますが、その本質は家庭料理に繋がっていると思います。お祖母さまがローマで営んでいたトラットリアでの日々が、料理人としての生き方に大きな影響を与えたと感じました。当時の思い出をお聞かせください。
父がローマの病院に4年間入院していたときは、母方の祖母のもとに預けられました。当時私はまだ5歳。幼すぎて病院で父との面会は許されませんでした。祖母は私の寂しさを紛らわせるために、彼女のレストランの手伝いが終わったら父に会わせてあげると、いつも大量の野菜を用意していました。私は会いたい一心で毎日下ごしらえをしましたが、面会時間までには終わらず、挑戦の日々。そんな日常を通して料理が習慣になり、自然と食の世界を目指すようになりました。数々の経験で、窮地に立たされたこともあったと思います。困難をどのようにして乗り越えましたか?
多くの困難と成功を体験しましたが、どんなときも必ず目標を設定してきました。夢でなく、目標です。自分の感覚として、夢は遠い願いのようなもの。クリアすべき目標をいつも明確にすることで、困難を乗り越えるように努力してきました。師匠であるマッシモ・ボットゥーラ氏の言葉で印象に残っていることは?
「イタリア料理においては、文化と味と人生の記憶が大事である」「料理をノスタルジック(郷愁的)ではなく、クリティック(批判的)な眼差しで見つめよ」
伝統的なイタリア料理を良い面だけでなく、同じ食材を使いながらさらに良い方法を見つけながら料理していこうという言葉です。独創的な観点と発想で、イタリア料理を見つめることの大切さを教えてもらいました。
また「チームで仕事をし、チームで成功を得ること」という言葉も印象に残っています。
自分自身もまた料理人はチームとして団結することが重要であると思っています。
座右の銘、信条をお聞かせください。
両祖母の言葉を胸に刻んでいます。母方の祖母からは「人生において大切なことは、深く根をはること。しっかりと勉強をして、友情を育みなさい。そうすれば、強い風が吹いても倒れることはないでしょう」という言葉。これは料理人としてチームで団結することの重要性にも通じています。父方の祖母の「好きなことをやりなさい。でも、いつも愛を持って向き合いなさい」も人生のモットーです。あなたにとってミシュランガイドとは?
目標への起点であり、正しい道に進んでいると証明してくれる指標です。同じ世代、特にこれからシェフを目指す若手へのアドバイス、メッセージをお願いします。
とにかく諦めずに戦うこと。周囲の言葉に惑わされず、目標に向けて邁進してほしいと伝えたいです。関連のあるお店を検索:
「グッチ オステリア ダ マッシモ ボットゥーラ トウキョウ」
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Illustration image:ⒸGucci Osteria da Massimo Bottura Tokyo