「ミシュランガイド東京2026」にて、「ソムリエアワード」を受賞したのは、一つ星フレンチレストラン「マノワ」オーナーソムリエの中村豪志氏。
「ソムリエアワード」とは、ワインの専門知識やサービス技術に優れたソムリエに贈られる賞。料理との組み合わせを熟知し、ゲストに的確なアドバイスをするスペシャリストに授与され、レストランでの体験を特別なものにする。
受賞の瞬間、涙に声を詰まらせていた中村さん。想いを振り返り、これからを語ります。
格式あるレストランや有名ソムリエが受賞するものと思っていた中村さん。ミシュランが小さなフランス料理店を見ていてくれたことに驚いた。同業の仲間やお客様の反響も大きかった。日本ではソムリエはサービスとの兼任が多い。そんな中での受賞に、この職の価値を次世代へつなぐ責任も感じた。
山梨・芦安の山あいで育ち、父は山小屋を営み、狩猟にも同行した。その山小屋は、日本で二番目に高い北岳の中腹、標高2,236メートルにある白根御池小屋で、高校時代の中村さんもここで働いた。雪崩に見舞われることもある、厳しい環境だったという。
母の手料理と家族の愛情が感性を育て、料理の道を志すきっかけとなった。幼い頃に触れた大自然と、そこに生きる人々への感謝は、今も彼の原動力であり、中村さんの感性が目指す世界の礎になっている。調理師学校時代には学業の傍ら、高尾山の日本料理店で住み込みのアルバイト経験を経て、憧れのフランスへ。そこでは料理と文化に魅了され二十歳で帰国した。
初めて就職した代官山「ラブレー」で伝説のサービスマンといわれた山田恵さんに出会い、サービス職へと進む。山田さんの教えどおり3年後に西麻布「ル・ブルギニオン」へ。サービスがフレンチのすべてだという考えを持つ菊地美升さん、そして岡部一己さんといったカリスマ的な魅力をもつ3人との出会いは、中村さんがサービス職に魅せられた原点。そこへ、フランスワインへの興味が加わり、今日の中村さんのスタイルが形成された。
当時、都内でフランス料理店のランチを巡り、先達のサービスやワインを見て回った。時代の「かっこいい大人たち」から、数々のおいしいお酒も飲ませてもらった。
かつてソムリエは業者からワインを仕入れ、学んだことを客に提案する職業だった。しかし今では銘醸ワインの価格が高騰したこと、客も自由に入手できる時代となったことから、関係性が変わったという。
マノワはフランスワインに特化している。その理由の一つが、20代の頃に飲み交わした友人との約束。二人はおいしいワインが手に入りにくくなる時代を見据え、自分達で造ったワインを紹介するのが夢だった。中村さんはレストランでソムリエを、友人はブルゴーニュでワイン造りを続けてきたことが現実となった。
世界中で多様なワインが造られる中、フランスワインはフランスでしか生まれない。
畑に水を撒くことも、土壌を人工的に改良することもなく、歴史と文化、テロワールが個性を形づくる。それこそ中村さんがフランス産を追求する理由。
このワインへの情熱と、真のサービスを届けたい想いが、今回の受賞につながった。
お客様の好みを察知し、料理に合わせたワインを提案するのは当然のこと。中村さんはお客様の気分に寄り添い、自分が飲みたいと思える一本を出すことを信条としている。
秋ならサンマに肝のソースを合わせることがあるが、単純に魚=白ワインというわけではない。例えば、樽の香るブルゴーニュの白を合わせてはかえって生臭く感じることがある。そんな時は、ステンレスタンクで造られたものを選ぶのがセオリーだが、中村さんはさらにゲストの好みや気分を汲み取り、最も心に響く一本を提案する。
コロナで一度は店を閉めたものの、2024年に「ミシュランの星を本気で狙う」と宣言し、再オープン。「一年で星を取る」と全スタッフに公言し、料理はもちろん、サービスの質の向上にも一丸となって取り組み、その挑戦が実を結んだ。再出発にあたっても、店名は変えなかった。マノワは“館”や“家”を意味する〈マナーハウス〉に由来する。
現在は、自ら北海道で狩猟をし、当日のディナーにあわせて蝦夷雷鳥を携えて帰ることも。解体所を設け、ジビエや規格外野菜を買い取り、福祉施設の人にも仕事を託す。マノワは地域と食をつなぐ店として「農業・福祉・観光」の持続可能な取り組みを進める。ワイン造りにも挑戦を続けている。
フランス料理店だけに留まるつもりはない。仲間が集い最高の瞬間を味わえるオーベルジュを北海道につくる、その夢に向け歩みを重ねている。
毎年ブルゴーニュとシャンパーニュを訪れる。スコッチウイスキーも好きで、数年前には9つの蒸留所*をもつアイラ島へ。簡素な宿でグラスも無い。蒸留所で買ったマグカップとウイスキーで友人と語り明かした時間も中村さんにとって「最高の瞬間」の思い出に。
ソムリエやサービスは、結局のところ人間力がものをいう。すばらしい料理は数多くあれど、再訪を誘うのは人の力。「二十歳の頃から通ってくださる常連の方々が、今回の受賞を心から喜んでくださったことが何より嬉しかった」と中村さんは語る。長年にわたり支えてくれた人々の存在が、この仕事を続ける励みになっている。
「2007年にミシュランガイドが東京に来て、レストランの価値の見られ方が変わりました。サービスは高揚感を創り出す仕事ですが、昨今ではその醍醐味を味わえる店が少なくなってきました」と中村さんは言う。
「僕は人たらしです。感性は親からもらった愛情が原点で、人が好きでないと出来ないこの仕事に心底惚れています」。受賞を機に、サービス人が減りつつあるフランス料理業界で、若い世代を育てたいという思いがいっそう強まった。良いサービスには対価を支払うということを標準化したい。
次の中村さんを志す次世代に伝えたいのは、とにかく人を好きになること。そして食にもっと興味を持ち、追究してもらいたい。おいしいワインは…「そうですね、先輩たちに飲ませてもらいましょう」と冗談交じりに語る。
どんなに忙しくても心に活力を絶やさない中村さん。語られた想いの奥には、仲間との大切な瞬間を紡ぐ温かな情景と未来への覚悟が見えた。
Top Image: © Hisashi Yoshino / The MICHELIN Guide