蕎麦の伝来
蕎麦の歴史は古い。中国から日本に伝来したのは縄文時代 といわれ、実のまま粥にしていた。鎌倉時代 に挽き臼が持ち込まれて粉食文化が発展する。
(Photo: shutterstock)
蕎麦粉の生産が容易になり、「蕎麦掻き」が生まれたのがこの頃。麺の姿をした「蕎麦切り」は、木曾 の定勝寺 の古文書に登場するのが初見である。
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江戸の町で発展
二八蕎麦が考案されたのは江戸中期。それまでは蕎麦粉十割だったため、茹でると切れやすく、せいろで蒸していた。現代でも蕎麦を「せいろ」や「ざる」に盛るのはその名残。
醤油、砂糖、味醂のかえしと鰹だしの蕎麦つゆが誕生したのは江戸後期に入ってから。醤油の生産が始まったのが江戸中期のため、それ以前は味噌に水を加えた「たれ味噌」で味わっていたのは意外である。
江戸っ子の粋
「蕎麦は呑むべし、噛むべからず」という言葉がある。威勢の良い江戸っ子は、見た目や気風の良さが身上。早く食べて即座に立ち去るのが粋だったと考えられる。
蕎麦つゆにたっぷり浸すのも野暮とした。理由は蕎麦がつゆで覆われ、風味が損なわれるから。濃口醤油をしっかり利かせた味付けのため納得できる。
(Photo: 生蕎麥 萬盛庵 平野勝三郎(部分)/東京都立中央図書館特別文庫室所蔵)
蕎麦は手繰るもの
蕎麦を食す様を「手繰る」という。語源は「両手を交互に使って手元へ引き寄せる」だが、粋を気取った江戸っ子が「すする」所作をこう例えた。
音を立てて一気に吸い上げるのは、蕎麦の香りが鼻に抜けるためと聞くが、後付けの理由だろう。禅寺で「麺類と沢庵は音を立てて食べても良い」とあるから、日本でも食事中に音を出すのはご法度だったと考えられる。
せっかちな江戸っ子が急いで小腹を満たすためであり、庶民の美学と習慣が江戸蕎麦文化を育んだ。
(Photo: 新吉原仲の町まちたや花子 町田幾舞(部分)/東京都立中央図書館特別文庫室所蔵)
年越し蕎麦
大晦日に蕎麦を食すのはなぜだろう。蕎麦切りの形になぞらえ長寿を願うという説。切れやすいため一年の厄災を断ち切り新年を迎えたいなど諸説あり、縁起担ぎとしての習俗と思われる。
ところで何時に食すのが正解なのか?年越し蕎麦とは新年を迎えるための儀式である。神事のため、除夜の鐘を聞きながら手繰りたい。
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