2023年3月27日。桜舞う東京日本橋。ミシュランガイドの「人材育成」「ガストロノミー業界への貢献」と、三井不動産の「日本橋を食の産業創造の中心地へ」との想いが重なり、「マスタークラス Chefs to Chefs supported by 三井不動産」が日本で初めて開催された。
豊富な経験を持つミシュランガイド掲載レストランのシェフが、料理への想いや経験を共有することで、未来のマスターシェフを育成するのがイベントの目的。
15名の志高き料理人は、地方からも集まり、台湾から駆け付けた方も。「国内で経験を積み、フランスで修業予定。渡辺シェフの経験談を聞いてみたい」「一流シェフの技術や考えを学び、自身の料理のヒントになればと思った」「自身の携わっている料理カテゴリー以外の若手の料理人たちとの接点を持ち、情報交換をしたい」など、動機は様々。ただ、学びたいという真剣なまなざしは共通していた。
イベントはトークとレシピラーニングのセッションに分かれ、トークセッションでは、渡辺シェフの料理に対する想いや経験を。レシピラーニングセッションでは、デシャップを囲んでシェフの調理シーンを間近に観察し試食する。
午前10時を過ぎたころ、会場内の穏やかなBGMが音を止み、司会者の挨拶とともに幕が開けた。
マスタークラスシェフ「ナベノ‐イズム」渡辺雄一郎シェフ
「ミシュランガイド東京2023」で二つ星「ナベノ-イズム」のシェフ。
料理人として社会に出てからというもの、国内外のミシュランガイド星付きレストランで修業を積み、恩師ジョエル・ロブションの教えを取り入れながらも、独創性を高めてきた。
「ミシュランガイド東京2008」から三つ星で掲載されている「ジョエル・ロブション」でのエグゼクティブシェフを経たのち、2016年から、自らが立ち上げた「ナベノ-イズム」がミシュランガイドに掲載される。「ミシュランガイド東京2023」では二つ星として紹介されている。
現在は、自身の店で腕を振るいながらも、料理専門学校で未来の料理人の指導にあたり、講演会や勉強会を実施するなど、業界全体の未来を見据え後進の育成にも力を注いでいる。
トークセッション「私の料理人生」
始めに、シェフの今までの料理経験、大切に思うことなどを語っていただいた。
若かりし頃の苦労話から、店のコンセプト作りまで幅広いトークに、参加者たちが熱心にメモを取り、質問があった。特に印象的だったエピソードをいくつか紹介します。
主張することの大切さを学んだフランス時代
専門学校で調理の基本を学んだあと、6か月のフランス研修へ。当時はインターネットや携帯電話もない中、ミシュランガイドと辞書を抱え、独り学校の門を出た。フランス語もままならない中でも、自身の意見を主張することを心がけていたという。「星付きレストランに集まる人たちは、何かをつかみたいパワフルな人の集まり。主張しないと置いていかれます。フランス時代は“自身の存在や意見を主張すること”を学びましたね。フランス文化でもありますから。技術は鍛錬を続ければついてくる。ただ、一回できたらゴールではなく、反復することが大切。今でも現状に満足することなく、考え、そして行動し続けています」。
ジョエル・ロブション エグゼクティブシェフ時代
「ミシュランガイド東京2008」から三つ星を維持していた渡辺シェフ。ジョエル・ロブションの名を汚さないよう、維持することが自身の使命と感じ、気を引き締めた緊張感は今以上だったという。その後、親愛なるロブションの下を離れ、独立を決意した。
ロブションに退職の意思を伝えようと、来日した際に声をかけた。しかしロブションはただならぬ空気を察知し、「忙しいから後にしてくれ」といってすぐその場を去ってしまった。その後も毎日声をかけ続けたが、真意を伝える日がきたのは、帰国日目前。退職の意向を伝えたところ、愛のあるビンタをもらい、一言「ブラボー!」といって抱きしめてくれた。抱き合いながら耳元で「今までよく支えてくれた。ありがとう」と言われて、瞳から涙があふれた。師匠と愛弟子の固い絆が確信された瞬間でもあった。
ナベノ-イズムで大切にしていること
料理以外でもお客様の印象に残るような店づくりを戦略的に考えた。誰が見ても認識できるよう、黒、オレンジ、白をテーマカラーに。また、インパクトのある店名をと“ワタナベの料理”という意味で“ナベノ‐イズム”とした。
いつもスタッフに伝えていることは、お客様を自分の家族だと思って接すること。「料理は愛情。自分の両親、恋人、大切な人が目の前に座っていると思いながら料理したりサービスしたりすると、自然と心地よい対応ができますよね」と渡辺氏は参加者へ語り掛ける。皆、渡辺氏を真剣なまなざしで見ていた。自身が料理人を志したきっかけを思い返しているかのようだった。
お客様の立場になって考えること
「食べ歩きをすることは、料理人として重要です」。トークセッションで繰り返されたキーワード。
自身も料理人を志した時から現在に至るまで、常に食べ歩きをして、研究し続けているという。
「なぜ食べ歩きをするか?お客様の気持ちが分かるからです。サービス、提供の温度やタイミング、空調に至るまで、実際に椅子に腰を据えて食べないと分からないことがたくさんあります。昔とあるシェフが、『試食する時は必ず座って食べなさい』と言っていました。同じことですよね。
そして食べ歩きをする時はノートを作り、20歳の舌、25歳の舌、その時に感じたことを記します。また、値段を書くことも大切。将来店を経営していくのであれば、価格設定はついて回るものですから。
ちなみに、私はフレンチだけではなく、色々な料理カテゴリーのお店に行きます。理由は明確。自身の店に来店されるお客様もその味を知っているから。毎日フランス料理ばかり食べている人はいませんよね。お客様の立場になることで、分かることがたくさんあるのです」。
レシピラーニングセッション
今回、目の前で調理して頂いたのはナベノ‐イズムの代表的な前菜3品。蕎麦がき、雷おこしのカナッペ、そして、最中のミニタルト。
雷おこしのカナッペは、最初に食べていただくアミューズ。五味に旨みを加えた6つの味を一口で楽しめる。フランスと浅草が皿の上で重なり合う。
毎朝蕎麦がきを炊くのは、渡辺シェフの日課。「スペシャリテを目指して来店するゲストも多い。そのため必ず私が作ります。わざわざお越しくださった方に失礼のないように、愛情をこめて炊いています」。
最中のミニタルトにもストーリーが。「最中は米でできています。日本人というアイデンティティとして、ご挨拶がてら米を使った一品を始めに出しています」。
参加者からの声
「がむしゃらに5年間フランスで働き帰国した。今後どのように進めばよいのか迷っているところ、渡辺シェフの話を直接聞ける機会を知り、参加した」と語るのは、現在都内フレンチレストランで勤務する渡辺さん。
トップシェフであっても最初は手探りの中進んでいたエピソードを聞き、自身の状況と重なり合ったという。「私はミシュランの三つ星を目指しています。私たちのような20代がもっと切磋琢磨し、上の世代のシェフたちに追いついていきたい。若い世代が中心となって業界を盛り上げていきたいと思っています」。
東京でフランス料理店を営み、独立後10年が経つシェフのnaoさんは、冒頭こう自己紹介をした。「他の料理人との交流がなく、一人で料理に向き合ってきました。正直今、自身のやり方や方向性があっているのか、悶々としています。もう一つ突き抜けたい。今日はそのヒントを得るため、勇気を出して参加しました」。
そんな彼女の表情はイベント中、どんどん明るくなっていった。後日話を伺うと、「とにかく行動しなくては。という気持ちになりました。渡辺シェフに相談したところ、『突き進め』という力強いメッセージをいただきました。背中を押してもらったと共に、もっと日本の食材を勉強しなくては、知識や技術を深めたい、と強く感じましたね。早速まだ訪れていなかった生産者さんへアポイントを取ったり、バンコクでのポップアップに参加することにしたりと、小さなことですが、着実に一歩を踏み出しています」。
料理人はおいしい料理を作って当たり前
「星付きレストランに一生で何回行けるでしょうか。格別な思いで、特別な方とわざわざ足を運んでくださるお客様に素敵な体験をして気分よくお帰りいただきたい。
そのためには、まずは自分自身が料理を大好きになってください。大好きな料理を大切な人に楽しんでいただく。その気持ちをもって料理をしてください。そして勉強し続けることを忘れないで。
いつかまたお会いできることを楽しみにしています。私も皆さんに負けないよう、勉強し続けます」。
そうトークを締めくくった渡辺シェフ。イベントが終わっても一人一人と目を見て話し、気さくにセルフィ―での撮影に応じる姿が印象に残る。初代マスタークラスシェフにふさわしい、温かく大きな器の持ち主だった。
メッセージ
「日本橋、食」には伝統と文化があります。伝統や文化を継承し、新機軸を生み出すのは人です。「人を遺すは上とする」という言葉がありますが、それには後世を受け継ぐ人の育成は欠かせません。先達 は、人を育てる責務があるでしょう。今春、就職した卒業生、新しいチャレンジに挑む多くの方々、三井不動産はじめ、ミシュランガイドは心より応援しています。
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