Features 1 分 2021年6月22日

天ぷら

代表的な日本料理といえば?寿司?それとも…?
今や日本料理の代名詞といっても過言ではない天ぷら。今回は歴史から紐解く天ぷらをご紹介します。

ポルトガルから日本に伝来

室町時代(16世紀)、ポルトガルのカトリック宣教師が、小麦粉の衣を付けて油で揚げる西洋式の調理法を日本に持ち込んだのが始まり。南蛮貿易を通じて鉄砲と共に伝来したというのも面白い。

Photo: shutterstock
Photo: shutterstock

長崎天ぷら

安土桃山時代(16世紀後期)、南蛮料理を祖とする「長崎天ぷら」が誕生した。衣に砂糖を混ぜ、酒で溶いた分厚い衣を種にまとわせラードで揚げる。衣に味付けされているため、そのまま味わった。西洋のフリッターに近いだろうか。日本における天ぷらの起源とされている。


上方風

17世紀、文化は西から東へと京阪に広まった。衣を付けて揚げる天ぷらは「つけ揚げ」と呼ばれ、京の都は野菜が身近だったことから胡麻などの植物性の油で揚げたと考えられる。仏教と根深い地域性から「精進揚げ」と名付けられた。西日本では、魚のすり身を素揚げした蒲鉾も天ぷらとされている。


江戸の町で発展

江戸の町に天ぷらが登場したのは18世紀後半。蕎麦、鰻に続く第三の味として屋台で売り始めた。火事の危険性があることから屋外が適していたともされる。新鮮な小魚が手に入るため魚介を種にし、生臭さを消すように胡麻油を用いた。現在のような小麦粉を水で溶く衣は、江戸が発祥。手が汚れないように串に刺し、さっぱりと味わえるように大根おろしと一緒に供された。


現代の天ぷら

改めて東西の違いを振り返りたい。関東の衣は小麦粉と卵を水で溶き、高温の胡麻油でさっと揚げる。関西は衣に卵を使わず、低温のサラダ油でじっくりと揚げる。関東は大根おろしの天つゆで味わうのに対し、関西では塩で味わう習慣が生まれた。もちろんこれは伝統文化であり、現代では店主の考え方や工夫によってボーダーレスになっている。西洋から伝来した手法をもとに、古今東西発展を遂げてきた天ぷら文化。日本の優れた職人により、なお進化を重ねている。


Features

検索を続ける - 興味深い記事