日本初となるミシュランキーセレクションには、様々な旅館がセレクションされています。伝統の中に新たな時代を表現している施設が多く、夕食は客室ではなくレストランで、布団の代わりにベッドを、障子や畳の代わりに最先端のデザインをというように、モダンな感覚を取り入れて進化し続けています。
その一方、西村屋 本館は異彩を放ちます。京都から電車で約2時間離れた小さな温泉街、城崎温泉に位置。由緒正しい旅館でありながら、現代的な快適性を取り入れ、ラグジュアリーなブティックホテルのようでもあります。その歴史深い宿の魅力が最も体感できるのが床です。
数寄屋造りの素朴な美が最も凝縮されているのがこの床なのです。
数寄屋造りとは、日本を象徴する茶室から広く知られるようになった建築様式。「一般的な客室タイプのひとつである『鈴懸』。一見、普通の客室と思うでしょう」と、マーケティングディレクターのフカイ・コリン氏は語ります。しかし、腰を下ろした瞬間に、目の前に別世界が広がります。畳の上に直接座ることで、隣接する特別室の豪華な池と庭が目の前に現れるのです。その特別室は高床式のため、宿泊客のプライバシーを損ねることなく、庭の景色を共有することができます。
特別室「松の間」の手前の通路に、松の木を切り取ったように外の景色が見える窓があることに気付くでしょう。これは四季を味わうために巧妙に設計されています。
「特別室の最大の特長が、1日のある時間に壁へ映る木の影だなんて、面白いですよね。これは自然の大切さと『質素ながらも深みのある』 という日本の客室設計における両方の概念を表現しているのです」とフカイ氏は笑顔で話します。
1854年創業から7代目となり、美しい旅館として、さまざまなリストに名を連ねてきました。伝統的な旅館と呼んでも間違いではありませんが、滞在する人の視点によってはその表現もさまざまです。「海外からのお客様はこれを『伝統的』と表現するかもしれませんし、国内のお客様は『レトロ』と言うかもしれませんね」とフカイ氏は思いを巡らせます。
古くからの旅館の慣習である部屋での食事や、仲居による布団の支度を他の旅館が取りやめる背景は理解できます。人手不足が理由で運営をスリム化せざるを得ない状況は現代の旅館経営の課題でしょう。
しかし、西村屋本館は、スタッフと宿泊客との心を込めた触れ合いを追求し、何よりもこの点を大切にしているのです。客室には専属の仲居が付き、その土地について詳しく説明します。また、夕食の配膳から布団敷きまで、旅館ならではの心のこもったもてなしを提供します。
デザインやサービス、提灯や鯉のいる雅な庭園など、細部へのこだわりが、この静かな世界観を作り出す基盤となっています。また、温泉も欠かすことのできない要素のひとつ。しかし、快適な滞在を実現するために、旅館が時代の流れに合わせて工夫や調整をしていることは、表面上わかりにくいものです。長い間、城崎温泉の旅館は、施設内に内湯を持たず、訪れた人々を7つの公共温泉に案内していました。これによって貴重な天然温泉を過度に汲み出すことなく、資源を守ってきたのです。
しかし、電車で簡単にアクセスできることが広まり、観光客が増え、内湯に対する需要が高まりました。フカイ氏は、温泉のある旅館への期待と、ラスベガスのホテル内のカジノに寄せられる期待は似ていると述べます。最終的には街の代表者たちが話し合い、施設内に温泉を設けることはできるが、規模を制限することで合意に至りました。
旅館と街が足並みを揃えることで、他の大都市の旅館とは異なる趣を与えています。西村屋 本館には3つの大浴場に加え、街中の温泉も楽しむことができます。滞在中にアクセスできる温泉のフリーパスを片手に外湯巡りも良いでしょう。浴衣を着て柳や桜の木が立ち並ぶ川沿いを散策すれば、特別な思い出になるはず。最後にフカイ氏はこう言って締めくくりました。
「レトロでも、伝統的でも、どちらでもいいのです。ただ、失われつつある古の魅力を体験するのならば、ここで間違いありません」。
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